支配構造論⑤|数は人を無謬化する
人は、
数が多いほど、
正しいと思い始める。
「みんながそう言っている」
「多数決で決まった」
「支持率が高い」
それらによって、
人は安心する。
なぜなら、
自分で考えなくて済むからだ。
数の中にいれば、
孤立しない。
責任も薄まる。
だから人は、
不安になるほど、
数へ集まり始める。
だが本来、
数と真理は一致しない。
多数派が、
常に正しいわけではない。
歴史を見ても、
人類は何度も、
“多数の正義”によって暴走してきた。
それでも人が、
数へ依存するのは、
恐れがあるからだ。
間違えたくない。
嫌われたくない。
孤立したくない。
その感情が、
「みんなと同じ」
を正義へ変換する。
すると組織は、
次第に無謬化する。
違和感を持つ者は、
「空気を乱す側」
として扱われる。
だが本当に危険なのは、
間違うことではない。
“間違いを修正できなくなること”
である。
本来、
人間は未熟である。
だからこそ、
違和感、
反対意見、
揺らぎが必要になる。
それらは、
組織を壊すものではない。
むしろ、
腐敗を止めるための流動性である。
数とは、
人間を安心させる。
だが、
数だけに依存した瞬間、
人は自分の良心を見失う。
支配構造とは、
暴力によって完成するのではない。
人が、
“自分で感じること”
をやめた時、
静かに完成する。

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