AXC原理|尻拭いが権力者を延命する原理
組織には、
現場を支える人がいる。
状況を理解する。
混乱を整理する。
人の話を聞く。
必要な調整を引き受ける。
問題が起きた時には、
放置せずに動く。
一方で、
権力を持ちながら、
その役割を、
十分に果たせない人もいる。
判断できない。
説明できない。
指示が曖昧である。
現場を混乱させる。
責任を引き受けない。
それでも、
その人は、
地位を持っている。
本来なら、
その失敗によって、
判断の誤りも、
能力の不足も、
明らかになるはずである。
だが、
組織は、
そのまま壊れるとは限らない。
現場を支える人が、
裏で整えるからである。
誤った指示を、
現場で修正する。
足りない説明を、
代わりに補う。
混乱した人を、
落ち着かせる。
止まった仕事を、
動かし直す。
責任の所在が曖昧なままでも、
結果だけは、
どうにか形にする。
なぜなら、
現場を支える人には、
見捨てられないものがあるからである。
困っている人がいる。
期限がある。
守らなければならない仕事がある。
組織が壊れれば、
多くの人が傷つく。
だから、
放置できない。
自分が動けば、
被害を小さくできる。
そう考えて、
尻拭いを引き受ける。
その行為は、
多くの場合、
責任感から生まれている。
善意でもある。
現場を守るための、
必要な判断でもある。
だが、
その責任感が、
別の構造を生むことがある。
現場を支える人が、
失敗を修正する。
すると、
権力者の失敗は、
表から見えなくなる。
大きな混乱は起きなかった。
仕事は終わった。
結果も出た。
組織は動いている。
そう見える。
そして、
本来問われるべき人の判断も、
能力も、
責任も、
検証されないまま残る。
権力者は、
自分の判断によって、
組織が動いていると思う。
周囲も、
その人が組織をまとめていると、
錯覚する。
だが、
実際に組織を支えているのは、
権力者ではない。
権力者が生んだ混乱を、
見えない場所で、
修正している人たちである。
現場を支える人の尻拭いが、
役割を果たせない権力者を、
延命する。
失敗が、
失敗として現れない。
責任が、
責任者へ返らない。
能力と役割の不一致が、
役職の見直しへつながらない。
そのため、
同じ判断が繰り返される。
同じ混乱が起きる。
同じ人が、
また裏で整える。
こうして、
権力者は残り、
現場を支える人だけが、
疲弊していく。
組織を救うために動いた人が、
結果として、
組織を壊す構造を、
支えてしまう。
これは、
尻拭いをした人の責任ではない。
困っている人を、
見捨てられなかったのである。
必要な仕事を、
止められなかったのである。
だが、
尻拭いを続けるだけでは、
構造は変わらない。
目の前の問題は解決しても、
問題を生み続ける権力は、
修正されない。
だから、
現場を支える人に必要なのは、
すべてを放置することではない。
人を守りながら、
何が起きたのかを、
見える形にすることである。
誰の判断によって、
混乱が生まれたのか。
誰が、
どの修正を引き受けたのか。
本来、
誰が責任を持つべきだったのか。
なぜ、
同じことが繰り返されるのか。
それを、
事実として残さなければならない。
尻拭いをした人が、
成果まで、
権力者へ返してはならない。
失敗を修正することと、
失敗を隠すことは違う。
人を守ることと、
権力者を守ることも違う。
現場を救うなら、
同時に、
構造を見えるようにしなければならない。
権力者にも、
失敗する権利はある。
だが、
その失敗から学ばないまま、
他者の能力によって、
地位だけを維持してはならない。
必要なのは、
誰かを無能と呼び、
切り捨てることではない。
役割と能力が、
一致しているかを問い、
失敗の責任を、
正しい場所へ返すことである。
組織を守るとは、
目の前の失敗を、
すべて現場の人が、
引き受けることではない。
失敗が、
検証と修正へつながる構造を、
つくることである。
支配構造は、
権力者の力だけで、
維持されるのではない。
現場を守ろうとする人の、
責任感と善意によって、
維持されることがある。
だから、
誰かの尻拭いによって、
仕事が形になったことを、
組織が正常に動いている証拠と、
取り違えてはならない。
見えない場所で、
誰かが支え続けなければ回らない組織は、
正常に動いているのではない。
失敗が、
隠されているだけである。

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