AXC原理

AXC原理|人を駒として配置する組織は次の世代を壊す原理

組織は、
人を配置する。

誰を、
どこへ置くか。

誰に、
何を任せるか。

誰の下で、
何を学ばせるか。

それは、
組織を動かすために、
必要なことである。

だが、
人を配置することと、
人を育てることは、
同じではない。

人は、
駒ではない。

置けば、
役割を果たすわけではない。

強い人の下へ置けば、
強くなるわけでもない。

経験のある人の下へ置けば、
育つわけでもない。

肩書のある人の近くに置けば、
学べるわけでもない。

人が育つには、
関係がいる。

安心して、
質問できること。

失敗しても、
やり直せること。

分からないと、
言えること。

意見を言っても、
人格を否定されないこと。

自分で考える余地が、
残されていること。

そして、
教える側に、
人を見る力があること。

だが、
組織は時に、
本人の成長より、
組織の都合を優先する。

誰と、
誰をつなげれば、
使いやすいか。

誰を、
どこへ置けば、
勢力になるか。

誰を、
誰の下へ入れれば、
関係を保てるか。

誰を、
どこへ置けば、
自分に有利か。

そうして、
人を、
役割だけで見る。

人間関係の、
駒として見る。

配置の、
材料として見る。

だが、
人には、
感情がある。

尊厳がある。

意思がある。

可能性がある。

そして、
限界もある。

どれだけ、
能力がある人でも、
育たない環境では、
力を失う。

どれだけ、
芯のある人でも、
否定され続ければ、
傷つく。

どれだけ、
意欲のある人でも、
考える余地を奪われれば、
自分を見失う。

それを、
本人の弱さだけで、
説明してはならない。

育たない環境に、
置いた責任まで、
本人へ返してはならない。

人を育てるとは、
人を配置することではない。

その人が、
その人のまま、
成長できる場所を、
つくることである。

そして、
誰の下へ置くかとは、
仕事を覚えさせる相手を、
選ぶことだけではない。

その人の、
考え方。

人への接し方。

責任の取り方。

失敗との向き合い方。

力の使い方。

そうしたものまで、
若い人は、
見て学ぶ。

だから、
育成とは、
技術の継承だけではない。

人格の継承でもある。

人を見る力のない人へ、
若い人を預ければ、
仕事だけでなく、
歪んだ関係まで、
引き継がれることがある。

人を傷つける人の下へ、
若い人を置き続ければ、
傷つく人が増えるか、
傷つける側へ、
適応する人が残る。

どちらにしても、
次の世代は、
健全には育たない。

だから、
人をどこへ置くかは、
単なる人事ではない。

未来の組織を、
どこへ向かわせるかという、
選択である。

人を駒として配置した時、
失われるのは、
その人の成長だけではない。

組織が、
次の世代へ渡すものまで、
歪んでいく。

人を育てたいなら、
まず、
人を駒として見ないことである。

そして、
誰に預けるかを、
肩書や都合ではなく、
その人を、
人として育てられるかで、
決めなければならない。

組織の未来は、
若い人を、
どこへ置いたかではなく、
誰に、
どのように育てさせたかに、
現れる。

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