AXC原理

AXC原理|余白は他者の主体を育てる原理

できる人ほど、
多くのことを、
自分で、
できてしまう。

分かる。

判断できる。

動ける。

人より早く、
終わらせることもできる。

だから、
自分でやった方が、
早い。

自分でやった方が、
確実である。

だが、
一人が、
すべてを埋めれば、
他者が入る場所は、
なくなる。

誰かが、
判断する前に、
答えを出す。

誰かが、
動く前に、
動いてしまう。

誰かが、
責任を持つ前に、
引き取ってしまう。

すると、
周囲は、
任せるようになる。

あの人が、
やってくれる。

あの人が、
判断してくれる。

あの人が、
最後には、
何とかしてくれる。

能力の高い人が、
全体を支えているように見えて、
その能力が、
他者の主体を、
入る余地まで、
埋めてしまうことがある。

だから、
時に、
埋めないことがいる。

できないから、
やらないのではない。

できることを、
示した上で、
任せる。

自分が担っていた場所から、
少し退く。

そこに、
余白が生まれる。

余白があれば、
誰かが、
入ることができる。

自分で考える。

自分で判断する。

自分で動く。

失敗する。

修正する。

そして、
その場所を、
自分の役割として、
引き受け始める。

任された仕事が、
自分の仕事へ、
変わっていく。

その時、
責任は、
命令によって、
与えられるものではなくなる。

自分から、
引き受けるものになる。

やがて、
任された側から、
言うことがある。

ここは、
自分たちがやる。

あなたは、
やらなくていい。

その時、
主体は、
移っている。

だが、
最初から、
何もしなければいいわけではない。

責任を持たないことと、
余白を残すことは、
違う。

自分にできないことを、
他者へ押しつけることも、
任せることではない。

任せるためには、
自分も、
必要なら担えること。

全体を、
見ていること。

任せた結果を、
必要なら、
共に引き受けられること。

そして、
余白を残した人も、
何もしなくなるのではない。

自分にしか、
見えない場所を見る。

全体を見る。

足りないところを、
補う。

誰かが困った時には、
支える。

自分の役割そのものを、
変えていく。

主体が増えれば、
一人ですべてを、
支える必要はなくなる。

一人の能力によって、
成り立っていたものが、
複数の主体によって、
動く構造へ変わっていく。

余白とは、
何もない場所ではない。

他者が、
入ることのできる場所である。

できることを、
すべてやらない。

埋められる場所を、
すべて埋めない。

自分が退くことで、
誰かが立てる場所を、
残す。

人を育てるとは、
すべてを、
与えることではない。

その人自身が、
考え、
選び、
担うことのできる余白を、
残すことである。

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