AXC原理

AXC原理|問いは答えではなく往還を開く原理

人は、
答えを求める。

どうすればいいのか。

何が正しいのか。

どちらを選ぶべきなのか。

誰かに、
教えてほしくなることがある。

そして、
人を導く側も、
答えを与えたくなる。

こうした方がいい。

それは間違っている。

別れるべきだ。

続けるべきだ。

怒るべきではない。

許すべきだ。

だが、
答えを与えることと、
相手が、
自分で判断できるようになることは、
同じではない。

答えを与えれば、
その場では、
迷いが減る。

だが、
その答えを失った時、
また、
誰かに聞かなければならないこともある。

問いは、
答えを与えるためだけにあるのではない。

問いによって、
それまで閉じていた視座を、
開くことができる。

本当に、
それだけだろうか。

反対側から見たら、
どう見えるだろう。

相手は、
何を見ているだろう。

自分は、
何を恐れているだろう。

別の原因は、
ないだろうか。

自分に不都合な事実は、
残っていないだろうか。

問いが生まれると、
一つだった答えに、
別の道が生まれる。

A
だけだったものに、
Bが現れる。

A ⇌ B
さらに、
Cが現れることもある。

問いは、
結論を、
直接変えなくてもいい。

結論へ至る道を、
もう一度、
開けばいい。

人を導くとは、
相手の答えを、
自分の答えへ変えることではない。

相手が、
自分で往還し、
自分で確かめ、
必要なら、
自分で結論を修正できる状態を、
作ることである。

だから、
良い問いは、
答えを、
決めない。

相手が、
別の視座へ動ける余地を、
残す。

決めつける人は、
問いを、
持たなくなる。

すでに、
答えを持っているからである。

あの人は、
こういう人だ。

理由は、
これだ。

本心は、
こうだ。

そう決めた瞬間、
問いは閉じる。

だが、
問いを持つ人は、
相手を、
完全には固定しない。

まだ、
分からないことがある。

別の可能性がある。

自分の見方が、
間違っているかもしれない。

その余白を、
残している。

問いとは、
答えを遅らせるためのものではない。

判断を、
放棄するためのものでもない。

必要なら、
判断する。

選ぶ。

動く。

だが、
その判断へ至る経路を、
閉じない。

問いによって、
また、
戻ることができる。

見直すことができる。

選び直すことができる。

問いは、
答えではない。

答えへ向かう道を、
一つに固定しないための、
往還の入口である。

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