AXC原理

AXC原理|正しさは異論によって検証される原理

人は、
正しいと思った時、
その正しさを、
守ろうとする。

自分の判断。

自分の理屈。

自分の信念。

自分の世界観。

それらに、
反する意見が現れると、
間違いだと、
感じることがある。

だが、
異論があることは、
自分が、
間違っていることを、
意味しない。

同時に、
自分が、
正しいことを、
証明するものでもない。

異論とは、
自分とは違う場所から、
切り取られた、
現実の一断面である。

自分には、
見えていないものが、
そこに、
含まれていることがある。

別の経験。

別の立場。

別の利害。

別の痛み。

別の時間。

別の関係。

別の世界観。

それらが、
同じ現実を、
違う形で、
見せていることがある。

だから、
正しさは、
異論を、
排除することで、
強くなるのではない。

異論を、
通過することで、
検証される。

反対意見を、
聞く。

自分に都合の悪い事実を、
残す。

別の立場から、
見直す。

前提を、
疑う。

時間を変えて、
見る。

別の場所でも、
同じ構造が、
現れるかを見る。

それでも、
なお、
同じ判断へ、
戻ってくるのか。

そこを、
確かめる。

もし、
異論を入れた瞬間に、
崩れる正しさなら、
その正しさは、
まだ、
十分に検証されていない。

もし、
異論を、
排除しなければ、
維持できない正しさなら、
それは、
真理ではなく、
固定化された、
自己完結である可能性がある。

人は、
自分の正しさへ、
現実を寄せることができる。

都合のいい情報だけを、
集める。

反対する人を、
理解不足とする。

異論を、
悪意とする。

批判を、
敵意とする。

そうすれば、
自分の世界の中では、
正しさを、
保つことができる。

だが、
その正しさは、
現実との接続を、
失っていく。

現実は、
自分一人の世界観だけで、
できてはいない。

知らない人がいる。

知らない事情がある。

まだ起きていない変化がある。

まだ言葉になっていない現実がある。

現実そのものが、
動き続けている。

だから、
正しさも、
止めてはならない。

正しさとは、
異論を消して、
固めるものではない。

異論を含み、
現実へ戻り、
何度も検証され、
必要なら、
修正されるものである。

異論を受け入れることは、
相手へ、
従うことではない。

反対意見を、
採用することでもない。

異論を、
現実の一部として、
検証対象へ、
残すことである。

正しいと思うからこそ、
疑う。

正しいと思うからこそ、
異論を残す。

正しいと思うからこそ、
現実へ戻る。

そして、
異論を通過しても、
なお残るものを、
もう一度、
仮に、
正しいと置く。

正しさは、
異論によって、
失われるのではない。

異論によって、
検証される。

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