AXC原理

AXC原理|正しい言葉は正しく在ることの代わりにはならない原理

人は、
正しい言葉を、
知ることがある。

責任。

反省。

良心。

信頼。

誠実。

公正。

修正。

思いやり。

どれも、
大切な言葉である。

だが、
正しい言葉を、
知っていることと、
正しく在ることは、
同じではない。

人は、
正しい言葉を、
語ることができる。

責任を、
語る。

反省を、
語る。

人を大切にすると、
語る。

信頼が大事だと、
語る。

だが、
その言葉が、
自分の行為へ、
向いていなければ、
在り方は、
変わらない。

責任を語りながら、
自分が相手にしたことは、
見ない。

反省を語りながら、
相手の過ちだけを、
数える。

公正を語りながら、
自分に都合のいい時だけ、
基準を変える。

信頼を語りながら、
人を圧力で、
従わせる。

思いやりを語りながら、
相手の声を、
聞かない。

それでは、
言葉だけが、
正しくなる。

人は、
変わらない。

むしろ、
正しい言葉を、
覚えたことで、
自分を、
正しい人間だと、
思いやすくなることさえある。

すると、
言葉は、
修正のためではなく、
自己正当化のために、
使われる。

自分は、
責任を知っている。

自分は、
反省している。

自分は、
誠実である。

そう語ることで、
自分の行為を、
見なくなる。

だが、
正しさは、
言葉の中だけに、
あるのではない。

何をしたか。

どう扱ったか。

誰を傷つけたか。

どこで、
自分を修正したか。

何を、
引き受けたか。

そこに、
在り方は、
現れる。

だから、
正しい言葉を、
語るなら、
まず、
自分へ返さなければならない。

その言葉は、
自分にも、
当てはまるのか。

その原理を、
自分にも、
適用できるのか。

過去の自分を、
その基準で、
見直せるのか。

今の自分を、
その基準で、
修正できるのか。

そこを、
通らなければならない。

正しい言葉は、
過去の行為を、
消さない。

正しい言葉は、
責任を、
免除しない。

正しい言葉は、
人格の証明にもならない。

言葉が、
在り方へ降りて、
初めて、
意味を持つ。

だから、
見るべきなのは、
何を語っているかだけではない。

その人が、
その言葉を、
どう生きているかである。

正しい言葉を語ることは、
正しく在ることの、
代わりにはならない。

言葉は、
自分を飾るためではなく、
自分を修正するために、
使うものである。

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