政治家構造論

政治家構造論 補論④|政治家は虚像ではない

政治家は、
広い視座を持たなければならない。

自分の票だけを見ている者は、
政治家ではない。

自分の陣営だけを見ている者も、
政治家ではない。

自分の任期だけを見ている者も、
まだ政治家ではない。

政治家とは、
地域の現在だけでなく、
社会の歪み、
人の痛み、
次世代の未来まで見ようとする者である。

その視座が、
人を政治家にする。

だが、
広い視座を語るだけでは足りない。

言葉が崇高でも、
在り方がそれに伴わなければ、
それは虚像になる。

政治家は、
理念を語る者ではない。

理念に、
自分の在り方を近づけ続ける者である。

政治家を崇高にするのは、
美しい言葉ではない。

言葉と在り方を、
一致させようとする生き方である。

在り方とは、
人前で整えた姿のことではない。

準備した言葉のことでもない。

人は、
見られている時には、
いくらでも正しく振る舞える。

いくらでも優しく見せられる。

いくらでも理念を語ることができる。

だが、
本当に問われるのは、
準備していない瞬間である。

批判された時。

不都合な事実を突かれた時。

弱い人の痛みに触れた時。

自分の損になる判断を迫られた時。

その瞬間に、
良心で応えられるか。

在り方とは、
意識して演じるものではない。

無意識に出るものである。

だから、
良心は、
言葉として持っているだけでは足りない。

身体に沈み、
反射になり、
瞬発的な応答として現れなければならない。

政治家に必要なのは、
良心を語ることではない。

良心で、
瞬時に応えられるところまで、
自分の人格を育てることである。

共鳴について →

まだ応答なし

対話

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