自治構造論

自治構造論⑧|自治には境界が必要である

人は、
自治とは、
誰でも受け入れることだと思っている。

だが実際は違う。

境界のない自治は、
やがて崩壊する。

本来、
人間は未熟である。

揺らぐ。
間違える。
感情的にもなる。

だからこそ、
互いに支え合いながら、
共に流れ続けている。

だが時に、
人間は、
他者の尊厳を壊し始める。

怒鳴る。
威圧する。
傷つける。
排除する。

そして最も危険なのは、
それが放置されることである。

なぜなら、
暴力を止めない空気は、
静かに自治を壊していくからだ。

本来、
自治とは、
「誰でも好き放題できる状態」
ではない。

互いの尊厳を守りながら、
共に流れ続けられる状態である。

だが支配構造は、
ここで極端へ振れやすい。

一つは、
排除による支配。

気に入らない者を切り捨て、
空気へ従わせる。

もう一つは、
境界なき放置。

「皆仲良く」
を理由に、
暴力を見て見ぬふりする。

だがその結果、
最初に離れていくのは、
良心ある人間である。

安心して参加したい人。

静かに支えたい人。

本当は地域を好きだった人。

そうした人々が、
「ここでは生きられない」
を学習し、
自治から離脱していく。

そして最後には、
恐れだけが残る。

本来、
境界とは、
支配の為に存在するものではない。

共鳴可能性を守る為に存在する。

違いは許容する。

未熟さも許容する。

だが、
他者の尊厳破壊を、
循環させてはいけない。

自治最大の難しさは、
ここにある。

優しさだけでは、
共同体は守れない。

だが排除だけでは、
自治は支配へ変わる。

だから必要なのは、
恐れによる統制ではない。

互いの尊厳を守る為の、
調律と境界である。

自治とは、
何でも許容する構造ではない。

人が、
安心して共鳴し続けられる流れを、
共に守ろうとする構造である。

共鳴について →

まだ応答なし

対話

メールアドレスは公開されません。※は必須項目です。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。