AXC原理|離れたことは弱さの証明ではない原理
人は、
組織に残った者を、
強いと考えることがある。
耐え抜いた。
最後まで残った。
組織に認められた。
だから、
残った者が正しかったのだと。
一方で、
離れた者を、
弱かったと考えることがある。
耐えられなかった。
適応できなかった。
問題を起こした。
だから、
離れるしかなかったのだと。
だが、
残ったことは、
強さの証明ではない。
離れたことも、
弱さの証明ではない。
人が組織に残る理由は、
一つではない。
その場所を愛している。
守りたい人がいる。
果たしたい責任がある。
組織を正したい。
仲間と共に、
変えようとしている。
一方で、
逆らうことが怖い。
地位を失いたくない。
居場所を失いたくない。
従うことで、
自分を守ろうとしている。
同じように残っていても、
その内側にあるものは、
同じではない。
人が離れる理由も、
一つではない。
傷ついた。
疲れ果てた。
これ以上、
自分を失いたくなかった。
守るべきものがあった。
あるいは、
自分の良心を、
差し出すことができなかった。
離れることは、
逃げることとは限らない。
残ることも、
服従することとは限らない。
何を受け入れ、
何を拒むかを判断する主体は本人にある。
だが、
支配構造は、
その自由を認めないことがある。
従う者を味方とし、
従わない者を敵とする。
異論を反抗と呼び、
抵抗を問題行動と呼ぶ。
そして、
従わないことを理由に、
制裁を加える。
人間関係を断つ。
悪評を広める。
居場所を奪う。
組織から追い出す。
やがて、
離れたという結果だけを取り出し、
あの人は問題があった。
あの人は弱かった。
だから残れなかったのだと、
語り直す。
だが、
従わなかったことは、
制裁の正当性を証明しない。
制裁を選んだのは、
制裁した側である。
その責任は、
従わなかった者へ、
移すことはできない。
残った者が、
正しかったとは限らない。
離れた者が、
間違っていたとも限らない。
残った者が、
誰かを守ろうとしていたこともある。
離れた者が、
何かを守り抜いたこともある。
反対に、
残るために、
誰かを傷つけた者もいる。
だから、
結果だけで、
人を評価してはならない。
何が起きたのか。
何を守ろうとしたのか。
どのような選択があり、
誰が何をしたのか。
その過程を、
見なければならない。
残ったという結果は、
その過程が正しかったことを、
証明しない。
離れたという結果も、
その人の弱さを、
証明しない。
そして、
離れた人の理由を、
残った側の都合で、
書き換えてはならない。
人の強さは、
残ったか、
離れたかだけでは、
測れない。
問われるべきは、
何に耐えたかだけではなく、
何を守ろうとしたのか。
そして、
そのために、
何を選び、
誰に何をしたのかである。

まだ応答なし