AXC原理|願いの誤認が行動を反転させる原理
人は、
自分が何を望んでいるのか、
分かっているとは限らない。
誰かに、
いてほしい。
認めてほしい。
分かってほしい。
大切にしてほしい。
自分も、
あの人のようになりたい。
そこには、
願いがある。
だが、
その願いが満たされないとき、
人は、
怒ることがある。
寂しさが、
怒りになる。
羨ましさが、
苛立ちになる。
認めてほしいという願いが、
相手への反発になる。
そして、
その怒りを、
嫌悪だと解釈してしまう。
あの人が嫌いだ。
あの人が悪い。
あの人さえいなければいい。
だが、
怒りは、
嫌悪の証明ではない。
怒りの奥には、
失いたくないものが、
あるかもしれない。
本当は、
そばにいてほしかった。
本当は、
認めてほしかった。
本当は、
自分も成長したかった。
けれど、
その願いを認めることが、
苦しい場合がある。
羨ましい自分。
寂しがっている自分。
認められたい自分。
傷ついている自分。
そうした自分を、
受け入れられない。
だから、
感情の理由を、
相手の中に探し始める。
相手の欠点を探す。
相手の言葉を悪く受け取る。
相手の成功を不快に感じる。
自分の怒りを、
正当化する材料を集める。
やがて、
相手が悪いという解釈だけが、
強くなっていく。
本来の願いは、
見えなくなる。
そして人は、
願いと反対の行動を、
選ぶことがある。
いてほしかった人を、
遠ざける。
認めてほしかった人を、
攻撃する。
近づきたかった人を、
こき下ろす。
守りたかった関係を、
自ら壊してしまう。
それでも、
自分は正しいと考える。
相手が悪かったから。
相手が変わらなかったから。
相手が自分を傷つけたから。
だが、
その解釈が、
本当に自分の願いを、
表しているとは限らない。
人は、
自分の感情を、
誤認することがある。
そして、
誤認した感情を正当化することで、
自分の願いから、
さらに遠ざかることがある。
だから、
問わなければならない。
なぜ、
その人が気に入らないのか。
何が、
不快だったのか。
何を、
失うことが怖かったのか。
本当は、
何を望んでいたのか。
怒りを、
否定する必要はない。
羨ましさを、
恥じる必要もない。
認めてほしいと願うことも、
弱さではない。
大切なのは、
その感情に与えた解釈を、
疑えることである。
もちろん、
怒りが、
現実の不当な扱いによって、
生まれることもある。
すべての怒りの奥に、
隠れた願いがあると、
決めつけてはならない。
他者が、
本人の本音を、
勝手に決めてよいわけでもない。
だが、
自分の解釈を、
唯一の答えにしてしまえば、
別の可能性は、
見えなくなる。
人は、
自分の願いを誤認することで、
その願いを、
自ら壊すことがある。
そして、
自分が壊したものを、
相手に奪われたものとして、
理解してしまうことさえある。
だから、
怒りの正しさを証明する前に、
その怒りが、
何を守ろうとしていたのか、
あるいは何を失ったと感じていたのか、
問い直さなければならない。
自分の本当の願いを知ることは、
相手を許すこととは限らない。
関係を続けることでもない。
自分の願いを、
自分の手に取り戻すことである。

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