AXC原理|主体は本人へ返す原理
人と人の間には、
それぞれの関係がある。
長く続いてきた関係。
信頼のある関係。
不満を抱えた関係。
それでも、
切れずに続いている関係。
外から見れば、
理解しにくいこともある。
だが、
その関係には、
当事者にしか分からない、
履歴がある。
誰かと、
誰かの間にある関係へ、
第三者が、
自分の都合で入り込み、
その関係を、
自分のもののように、
扱ってはならない。
自分の立場を、
上に置くために。
自分の影響力を、
示すために。
自分が、
誰かを守っているように、
見せるために。
人は時に、
他者同士の関係へ入り、
頼む。
助言する。
仲介する。
そして、
その後に、
誰かが動くと、
自分が動かしたように、
語ることがある。
私が言ったから。
私が頼んだから。
私が助けたから。
だから、
あの人は動いた。
だが、
自分が頼んだことと、
相手が動いたこと。
その二つが、
事実であっても、
自分が頼んだから、
相手が動いたとは、
限らない。
二つの事実が、
続いて起きたことと、
一方が、
もう一方の原因であることは、
同じではない。
人が動く理由は、
一つではない。
その人には、
その人の考えがある。
関係がある。
迷いがある。
判断がある。
義理がある。
情がある。
責任がある。
そして、
最後に動いたのは、
本人である。
誰かの言葉が、
きっかけになることはある。
誰かの存在が、
背中を押すこともある。
だが、
きっかけを与えたことと、
相手の行為を、
自分の成果にすることは、
同じではない。
自分の働きかけが、
どれほど影響したのか。
何が、
相手の判断を動かしたのか。
それは、
本人に確かめなければ、
分からないことがある。
確かめていないものを、
事実として、
語ってはならない。
自分の解釈を、
相手の動機にしてはならない。
他者の判断を、
自分の影響力の証明へ、
変えてはならない。
他者の行為を、
自分の手柄へ、
回収してはならない。
他者同士の関係を、
自分の序列を示すための、
舞台にしてはならない。
人を支えるとは、
その人の主体を、
奪うことではない。
関係を尊重するとは、
何でも放っておくことでもない。
必要なら、
情報を伝える。
助ける。
支える。
自分の働きかけが、
相手の力になったのなら、
その貢献まで、
消す必要はない。
だが、
最後に、
誰が考えたのか。
誰が選んだのか。
誰が動いたのか。
そこを、
曖昧にしない。
その人が、
自分で考え、
自分で選び、
自分で動いたのなら、
その主体は、
その人へ返す。
よくやった。
頑張った。
選んだ。
動いた。
それでいい。
関係には、
その関係の当事者がいる。
行為には、
その行為の主体がいる。
そして、
行為の理由には、
本人にしか分からないものもある。
第三者が、
その位置を、
奪ってはならない。
主体は、
本人へ返さなければならない。

まだ応答なし