AXC原理

AXC原理|正しさより矜持の原理

人は、
正しくありたいと、
願う。

間違いたくない。

負けたくない。

否定されたくない。

自分の判断を、
正しいものとして、
守りたい。

だが、
正しさを守ることが、
目的になると、
人は、
自分の間違いを、
認められなくなる。

不都合な事実を、
避ける。

矛盾を、
誤魔化す。

相手のせいにする。

自分の正しさを、
守るために、
現実の方を、
曲げ始める。

だから、
正しさより、
大切なものがある。

矜持である。

矜持とは、
自分を、
高く見せることではない。

自分は偉いと、
思うことでもない。

誰にも、
負けないことでもない。

矜持とは、
自分が、
自分の良心に対して、
恥じない在り方を、
守ろうとすることである。

誰も見ていなくても、
誤魔化さない。

自分が間違ったなら、
認める。

不都合な事実でも、
見る。

傷つけたなら、
責任を引き受ける。

知らないことは、
知らないと言う。

分からないことは、
分からないままにする。

必要なら、
謝る。

必要なら、
考えを変える。

だが、
周囲に合わせるためだけに、
自分の軸まで、
手放さない。

それが、
矜持である。

矜持は、
無謬ではない。

むしろ、
自分が間違えることを、
知っているからこそ、
必要になる。

私は、
間違わない。

ではない。

私は、
間違える。

だから、
自分を誤魔化さない。

その姿勢である。

矜持のある人は、
自分が正しいことを、
証明し続けなくてもいい。

間違えば、
直せるからである。

負けても、
学べる。

批判されても、
考えられる。

知らなかったことを、
知れば、
判断を変えられる。

だから、
正しさに、
しがみつく必要がない。

矜持とは、
正しい人間であることではない。

自分の良心へ、
戻り続けられることである。

正しさは、
時に、
自分を守るために、
使われる。

だが、
矜持は、
自分を、
修正するために働く。

だから、
見るべきなのは、
その人が、
どれだけ正しいことを、
語っているかではない。

間違った時に、
どう在るか。

不都合な現実に、
どう向き合うか。

自分の責任を、
引き受けられるか。

そこに、
その人の矜持は、
現れる。

正しさより、
矜持を持つ。

自分が正しいことより、
自分を誤魔化さないことを、
選ぶ。

そして、
何度でも、
良心へ戻る。

それが、
人が自分の軸を、
失わずに生きるということである。

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