AXC原理|許容が境界を失うと甘えは権利化する原理
人は、
誰かに、
助けてもらうことがある。
支えてもらう。
待ってもらう。
許してもらう。
融通してもらう。
困っている時には、
そうした善意が、
人を救う。
だが、
許容には、
境界が必要である。
最初は、
ありがたいと思っていたことも、
繰り返されると、
当たり前になることがある。
一度、
助けてもらう。
また、
助けてもらう。
断られない。
困らせても、
関係は壊れない。
負担をかけても、
相手は受け入れてくれる。
すると、
人は、
少しずつ、
境界を見失う。
お願いだったものが、
期待になる。
期待だったものが、
当然になる。
当然だったものが、
権利のように感じられる。
ここで、
甘えは、
反転する。
本来、
相手の善意によって、
成り立っていた関係なのに、
相手が応じることを、
当然だと思い始める。
送ってもらう。
世話をしてもらう。
安く貸してもらう。
待ってもらう。
譲ってもらう。
それが続くほど、
相手が払っている負担は、
見えなくなる。
そして、
相手が境界を示した時、
人は、
不満を持つことすらある。
今まで、
やってくれたのに。
なぜ、
急に駄目なのか。
そう感じる。
だが、
善意は、
義務ではない。
許容は、
無制限の許可ではない。
親しさは、
相手の境界を、
越えてよい理由にはならない。
本当に、
関係を大切にするなら、
受け取る側にも、
責任がある。
どこまでなら、
頼ってよいのか。
相手に、
どれだけ負担がかかっているのか。
自分は、
何を返しているのか。
そこを、
見なければならない。
また、
許す側にも、
責任がある。
嫌なのに、
何も言わない。
負担なのに、
受け入れ続ける。
限界なのに、
境界を示さない。
それでは、
相手は、
どこまでが許容なのかを、
知ることができない。
だから、
優しさとは、
何でも許すことではない。
関係を壊さないために、
境界を示すことも、
優しさである。
許容が、
境界を失った時、
甘えは、
権利へ反転する。
そして、
権利だと思い込んだ甘えは、
相手の善意を、
搾取し始める。

まだ応答なし