AXC原理

AXC原理|排除と憧憬の原理

社会は、
ある力を、
危険だとみなすことがある。

乱暴さ。

強さ。

反抗。

無法。

本音。

欲望。

支配。

そうしたものを、
秩序の外へ、
追い出す。

良くないもの。

持ってはいけないもの。

見せてはいけないもの。

そうして、
社会は、
自分たちから、
その力を切り離したように見える。

だが、
排除されたものは、
本当に、
消えたとは限らない。

人は、
日常では否定した力を、
非日常の中で、
魅力として見ることがある。

物語。

映画。

祭り。

英雄。

悪役。

反逆者。

そこにある、
自由。

力。

覚悟。

本音。

制約を越える姿。

それらに、
惹かれる。

ここに、
一つの矛盾がある。

日常では、
許さない。

だが、
非日常では、
憧れる。

社会は、
自分たちの秩序から、
ある力を排除しながら、
その力を、
魅力として消費することがある。

それは、
排除した力を、
本当に否定したからとは限らない。

自分たちの内側にもある、
同じ欲望を、
外へ追い出しただけであることがある。

自由でありたい。

強くありたい。

本音で生きたい。

誰にも、
支配されたくない。

恐れず、
立ち向かいたい。

そうした願いまで、
日常の秩序の中では、
抑え込まれることがある。

すると、
人は、
その願いを、
自分では生きられない。

だから、
外側にいる誰かへ、
預ける。

自分にはできないことを、
その人に、
やってもらう。

そして、
その姿を、
格好いいと思う。

ここで、
憧憬が生まれる。

人は、
悪そのものに、
憧れているとは限らない。

悪の中に見える、
自由に惹かれる。

力に惹かれる。

覚悟に惹かれる。

本音に惹かれる。

だから、
悪を、
美化すればいいわけではない。

加害には、
責任がある。

暴力には、
被害がある。

反社会的な行為を、
正当化する必要もない。

だが、
なぜ、
そこに人が惹かれるのかを、
見なければならない。

惹かれているものが、
悪ではなく、
抑圧された自由かもしれない。

失われた強さかもしれない。

言えなかった本音かもしれない。

持てなかった覚悟かもしれない。

そこを見ずに、
ただ排除すれば、
同じ憧れは、
別の形で戻ってくる。

排除とは、
問題を消すことではない。

時に、
問題を、
外へ追い出すことにすぎない。

そして、
外へ追い出されたものが、
魅力として、
戻ってくることがある。

だから、
見るべきなのは、
何を排除したかだけではない。

その中にあった、
何を、
自分たちは、
本当は求めていたのか。

そこまで見て、
初めて、
排除と憧憬の矛盾は、
ほどけ始める。

共鳴について →

まだ応答なし

対話

メールアドレスは公開されません。※は必須項目です。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。