AXC原理|評価の先回りの原理
人は、
事実そのものを、
最初に見るとは限らない。
先に、
物語を聞くことがある。
あの人は、
問題のある人だ。
追い出された人だ。
信用できない人だ。
面倒な人だ。
そうした評価が、
本人より先に、
周囲へ置かれる。
すると、
その後に本人が、
何を話しても、
最初に置かれた物語を通して、
聞かれるようになる。
私は、
自分から辞めた。
そう説明しても、
追い出された人が、
そう言っているだけだと、
受け取られる。
私は、
こういう経緯だった。
そう説明しても、
自分に都合よく、
話しているのだろうと、
見られる。
本人は、
事実を説明しているだけなのに、
その言葉は、
弁明になる。
反論になる。
言い訳になる。
なぜなら、
判断の基準点が、
すでに、
本人の外側へ、
置かれているからである。
さらに、
その物語を、
当事者ではない人が語ると、
信憑性が、
高く見えることがある。
私は、
直接関係ないけれど。
聞いた話では。
みんな、
そう言っている。
そうして、
当事者の感情から離れた、
第三者の情報であるかのように、
語られる。
だが、
第三者が語っていることと、
第三者が、
事実を確認したことは、
同じではない。
伝聞は、
語る人が変わっても、
事実になるわけではない。
それでも、
人は、
利害のない人が言っているように見えると、
その話を、
信じやすくなる。
こうして、
一つの評価が、
別の人の口を通り、
事実のような顔を持ち始める。
そして、
本人が別の場所へ行っても、
物語だけが、
先に届くことがある。
新しい人と、
関係を作る前に、
評価が置かれる。
信頼を作る前に、
疑いが置かれる。
本人を知る前に、
人物像が作られる。
その時、
排除は、
一つの場所だけでは終わらない。
人を、
その場から遠ざけるだけでなく、
次の場所で、
関係を作る力まで、
奪い始める。
これは、
単なる陰口ではない。
人の社会的位置を、
先回りして決める構造である。
本人が、
どこへ行っても、
同じ人物像が、
追いかける。
すると、
周囲は、
本人を見て判断するのではなく、
すでに聞いた物語へ、
本人を当てはめる。
普通に話しても、
裏があると思われる。
怒れば、
やはり問題のある人だと言われる。
反論すれば、
攻撃的だと言われる。
黙れば、
否定できないのだと思われる。
何をしても、
先に置かれた物語の、
証拠へ変えられる。
こうなると、
本人は、
自分自身を説明する権利まで、
失っていく。
だが、
先に聞いたことと、
現実は、
同じではない。
多くの人が、
同じ話を知っていることと、
その話が、
正しいことも、
同じではない。
第三者が、
語ったことと、
中立であることも、
同じではない。
人を見るなら、
本人を見る必要がある。
何をしたのか。
何が起きたのか。
誰が、
何を確認したのか。
どこまでが事実で、
どこからが解釈なのか。
そこへ、
戻らなければならない。
排除を止めるとは、
人をその場へ戻すことだけではない。
その人が、
自分の言葉で、
自分の現実を語れる場所を、
取り戻すことでもある。
先に置かれた物語は、
本人の言葉を、
弁明へ変える。
だからこそ、
人は、
誰かについて聞いた物語より先に、
その人自身と、
現実を見なければならない。

まだ応答なし