AXC原理

AXC原理|言葉が身体へ降りる原理

人は、
正しい言葉を聞けば、
分かったと思う。

人は未熟である。

自分を疑え。

他者を尊重しろ。

良心に従え。

間違いに気づけば、
修正しろ。

言葉として理解することは、
難しくない。

だが、
言葉を知ることと、
その言葉を生きることは違う。

言葉を聞き、
その通りだと思い、
記憶し、
他者へ語る。

それだけでは、
人格は変わらない。

借りた言葉は、
自分の現実に触れた時、
簡単に消える。

自分の立場が揺らいだ時。

嫉妬した時。

傷ついた時。

恐れた時。

損をする時。

自分の誤りを、
認めなければならない時。

頭で知っていた言葉より、
身体に刻まれた自己保身の方が、
先に動く。

だから、
言葉は、
鵜呑みにしてはならない。

疑わなければならない。

本当に正しいのか。

どこまで正しいのか。

自分の現実では、
何を意味するのか。

自分は、
その言葉と反対のことを、
していないか。

自分の利益が失われても、
その言葉を選べるのか。

問い続けなければならない。

そして、
現実の中で使う。

選ぶ。

失敗する。

結果を引き受ける。

間違いに気づけば、
修正する。

その往還によって、
他者の言葉は、
少しずつ自分の答えになる。

自分の答えになった言葉は、
やがて、
判断の軸になる。

さらに、
何度も現実で確かめられた軸は、
感覚へ圧縮される。

その時、
人は考えなくても、
身体で動けるようになる。

それは、
何も考えていないのではない。

考え抜いたものが、
身体へ宿っているのである。

言葉を知るだけでは、
人格は変わらない。

言葉を疑い、
自分の現実で引き受けた時、
初めて言葉は身体へ降りる。

理解とは、
正しい言葉を覚えることではない。

その言葉によって、
自分の行為が変わることである。

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