恋愛構造論⑥|対等とは何か
人は、
恋愛において、
「対等」が大事だと言う。
だが実際には、
多くの関係が、
どこかで上下構造へ流れていく。
養う側。
支える側。
我慢する側。
追う側。
合わせる側。
そうして人は、
無意識のうちに、
“どちらが上か”
を測り始める。
なぜなら、
人は不安になると、
関係を固定化したくなるからだ。
だが本来、
対等とは、
全てが同じという意味ではない。
能力も違う。
得意も違う。
役割も違う。
人生も違う。
それでもなお、
互いを「一人の人間」として扱えるか。
そこに、
対等性は存在する。
本当に危険なのは、
強い側が存在する事ではない。
強さによって、
相手の主体性が消えていく事である。
そして、
弱い側が、
自らの主体性を手放していく事でもある。
支配は、
支配する側だけで生まれるのではない。
「考えなくて済む安心」
によって、
互いに固定化されていく。
だが、
本当の恋愛とは、
相手を従わせる事ではない。
また、
相手へ従い続ける事でもない。
違うまま、
なお向き合い続けられるか。
自分を保ちながら、
相手も人間として扱えるか。
恋愛における対等とは、
上下が存在しない事ではない。
上下よりも、
人間性を優先し続けられる事である。

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