AXC原理|断絶は排除ではなく責任を返す手段になり得る原理
人は、
関係を切ることを、
拒絶だと思う。
見捨てることだと思う。
排除だと思う。
だが、
関係を切る理由は、
一つではない。
傷つけられ続ける。
何度伝えても、
修正されない。
責任を、
他人に押し付け続ける。
境界を、
何度も越える。
その時、
関係を続けることが、
相手の行為を、
支えることになる場合がある。
許される。
助けてもらえる。
戻ってこられる。
誰かが、
後始末してくれる。
そう学べば、
本人が、
自分の行為の結果を、
引き受けなくなることがある。
だから、
距離を取る。
関係を切る。
それは、
相手を悪として、
社会から追い出すためとは限らない。
本人へ、
責任を返すためであることもある。
この行為を続けるなら、
この関係は続けられない。
その結果を、
本人に引き受けてもらう。
ここで、
断絶は、
排除ではなく、
境界になる。
もちろん、
関係を切れば、
必ず相手が変わるわけではない。
変わらない人もいる。
さらに、
怒る人もいる。
別の場所へ、
責任を押し付ける人もいる。
だから、
断絶は、
相手を操作するために、
使うものではない。
変わらせるための、
脅しでもない。
自分が、
引き受けるべきでない責任を、
引き受けないための選択である。
そして、
相手が、
自分の行為と、
向き合う余地を残すことでもある。
大切なのは、
関係を切った後も、
相手の人格を、
永遠に固定しないことである。
今は、
関係を続けられない。
だから、
離れる。
だが、
それは、
この人間は、
永久に変わらないと、
決めることではない。
行為が変わる。
責任を引き受ける。
反省する。
修正する。
その時、
関係を、
見直す余地は残る。
断絶とは、
必ずしも、
終わりではない。
時には、
責任を、
正しい場所へ返すための、
距離である。
相手を、
排除するためではなく、
自分も相手も、
構造から離れるために、
必要なことがある。

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